両面宿儺の本来の姿は?顔が2つある理由や双子説をネタバレ解説【呪術廻戦】

両面宿儺の本来の姿は?顔が2つある理由や双子説をネタバレ解説

両面宿儺は『呪術廻戦』の主人公である、虎杖悠仁に受肉していた1,000年前の呪術師です。作中では、器である虎杖と同じ容姿で描かれています。しかし、虎杖に受肉する前の、つまり生前の姿は虎杖の容姿とは全く別物です。

それどころか、とても人間とは思えないような悍ましい姿をしています。本記事では両面宿儺の本来の姿と、顔が2つある理由や双子説について解説していきましょう。宿儺の本来の姿について詳しく知りたかった方は、ぜひ参考にしてみてください。

目次

両面宿儺の本来の姿とは?

宿儺が虎杖と同じ容姿で描かれることが多いのは、単純に虎杖の体へ受肉しているからです。そのため、本来の宿儺の容姿は、虎杖とは全く異なるものでした。なお、宿儺のように受肉を果たした呪術師の容姿は、器となった人間のものがベースとなります。

ただし、完全に肉体の主導権を乗っ取っている場合は、生前の姿へと変身可能です。では、なぜ宿儺は生前の姿へと戻らないのでしょうか?ここでは宿儺の本来の姿と合わせ、本来の姿に戻らない理由も解説していきます。

実在した普通の人間

五条悟を超える圧倒的な強さと、人を喰らう趣向を見れば、とても宿儺が人間とは思えませんよね?しかし、虎杖に受肉した宿儺は架空の生物ではなく、1,000年前に実在した普通の人間です。

宿儺が生まれた平安時代は呪術全盛とされ、現代より呪術のレベルが格段に高かったとされています。その時代において宿儺は、他を圧倒する力を有していました。もはや呪詛師の域を超えた、天災のような存在だったとされています。

なお、古墳時代に存在したとされる、仮想の鬼神・両面宿儺と宿儺は一切関係がありません。ただ、強さと容姿が両面宿儺と似ていたことから、「宿儺」と呼ばれるようになりました。そのため、本来の名前に関しては未だ不明です。

本来の姿は腕4本、口が2つ、目が4つある

宿儺の本来の姿は、原作1巻3話の頃から仄めかされていました。その後、本格的に宿儺の本来の姿が公開されたのは、原作14巻117話の扉絵です。腕が4本、顔と腹部に口が1つずつ、目が4つあるその姿は、とても人間とは思えません。

しかも、顔の右側は大きく変形して、まるで仮面を張り付けているかのようです。因みに、宿儺の着物が女性用とデザインが似ているのは、腕が4本あったことも影響しています。男性用では動きづらかったのかもしれません。

なお腕が4本と口が2つあることは、呪術の世界においては圧倒的なアドバンテージになります。なぜなら、掌印を結んでいても両腕が使用可能で、呪師の詠唱を絶え間なく続けられるからです。

本来の姿に戻らない理由

先述した通り、受肉を果たした術師は、生前の姿に戻ることが可能です。しかし、宿儺は虎杖に受肉した後も、生前の姿に戻ろうとはしませんでした。理由としては、戻らないのではなく戻れないのではないか?と考えられます。

虎杖は宿儺の器として羂索に作り出されたため、器として非常に高い強度を持っていました。そのため、器というよりも宿儺を閉じ込める檻として機能しています。結果、宿儺は完全に肉体の主導権を得ることはできず、本来の姿に戻れなかったのでしょう。

因みに、伏黒の体へ受肉した際も、すぐには本来の姿に戻っていません。しかし、虎杖の時と違って肉体の主導権を奪えなかったからではありません。高専のメンバーと戦う上で、伏黒の姿のままの方が都合が良かったからです。

誰が封印したのか

宿儺は死後に、自分の魂を20本の指に宿して切り分けることで呪物化しました。その後、呪術師たちは宿儺の指を破壊しようと試みたものの徒労に終わります。そのため、破壊ではなく封印という形で、宿儺の指を管理することになりました。

では、呪物化された宿儺の指を、封印したのは一体誰なのでしょうか?第一候補は、当時呪術界で猛威を奮っていた、藤原家、菅原家、安倍家、禪院家の面々です。彼らは精鋭を率いて宿儺に挑むも、終ぞ討ち取ることは叶いませんでした。

そのため、呪物化した宿儺を放っておくはずがありません。なんとしても回収し、受肉を阻止したいはずです。現に、宿儺の指は彼らの子孫とされる御三家も所有権を持つ、高専の忌庫に保管されていました。

両面宿儺の生前・人間時代について【ネタバレ】

ここからは、生前の宿儺の人物像や、どのような生活を送っていたのかについて解説していきます。宿儺はその見た目通り、人間の理から外れた存在でした。それでも、人間らしく空腹や喜びを感じるようです。

しかし、その欲求の満たし方は、「呪いの王」の名に違わぬものでした。しかも宿儺は、それが悪いことだとは一切思っていません。人々が宿儺を人間ではなく、天災のような存在として扱ったのにも納得できます。

生前の人物像

宿儺の人物像を一言で述べるなら、暴虐無尽そのものです。己の快・不快のみを指針として、人を喰らい、遊び、殺します。宿儺にとって人間というのは、死ぬまでの暇潰しの道具でしかないのです。

そんな、宿儺にとって最大の快楽は食べることとされています。好物は人間で、宿儺の側近である裏梅は、人間を調理する腕を買われて手下となりました。宿儺ほどの実力者が、人間を喰らうために襲う様はまさしく天災だったでしょう。

しかし、宿儺はそんな自身の生き方を「身の丈にあった生き方」と語っていました。ただ、宿儺の身の丈が大きすぎて、人間には理解ができないだけとのことです。あまりにも自分本位な意見ですが、宿儺にはそれだけの力が備わっています。

両面宿儺は女好きなのか?

宿儺は第1話で受肉した直後に、「女はどこだ」と言い放っていました。このことから、一部で「宿儺は女好きなのでは?」と考察されています。しかし、次のセリフで「女も子供も蛆のように湧いている」「鏖殺だ」と嬉々として呟いていました。

このことから、女好きというより、子供や女性のような弱い存在を殺すのが好きと考えられます。その証拠に、虎杖に受肉していた頃は、意図的に虎杖を苦しめようとする言動が目立ちました。

しかし、一方で漏瑚や五条のように、強い存在には敬意を払う様子も見られます。そのため、初期の宿儺と今の宿儺では性格が違うと言われることもありました。しかし、見方によっては強者に敬意を示す反面、弱い者いじめが好きな一面もあるとも考えられます。

宿儺は双子だった

宿儺は人間離れした容姿から、双子として生まれてくるはずだったのでは?と考察されていました。特に『呪術廻戦』の世界では、双子は凶兆とされています。そのため、宿儺の異形な容姿も、凶兆が影響していると考えられていました。

そして、原作257話にて、元々宿儺は双子で生まれる運命だったことが明かされます。しかし、母体が栄養不足だったため、胎児だった宿儺まで飢える可能性がありました。そこで宿儺は、生きるために双子を喰らい生き延びたのです。

なお、その際に食べた双子の魂は巡り巡って、虎杖の父である虎杖仁に転生しました。羂索はそれを知って虎杖香織の体を乗っ取り、仁との間に子を成したのです。そのため、虎杖には宿儺と同等レベルの潜在能力があるとされています。

両面宿儺は実在した人物がモデルなのか?

先述した通り、宿儺のモデルとなったのは古墳時代に存在したとされる両面宿儺です。日本書紀などに登場する仮想の鬼神で、胴体に2つの顔と4本の手足を持ちます。『呪術廻戦』の宿儺は、鬼神・両面宿儺に似ていることから「宿儺」と呼ばれるようになりました。

そのため、宿儺はあくまで「両面宿儺に似ている別人」とされています。なお、両面宿儺は宿儺と違い、伝記によっては英雄視されていることもあるようです。ここからは、現実に伝承として残る両面宿儺について、詳しく解説していきましょう。

日本書紀に記された伝説

両面宿儺を取り扱った伝承として最も有名なものは日本書紀です。日本書紀の中で両面宿儺は、仁徳天皇の時代に飛騨に現れた鬼神とされています。天皇の命に従わず、略奪を楽しむ悪鬼のような存在だったようです。

そのため、朝廷は難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を派遣し、宿儺を討伐しました。なお、日本書紀には宿儺のような異形の存在が度々描かれています。一説によると、朝廷に与しない勢力への蔑視的表現と考えられているようです。

その証拠に、仁徳天皇の時代には、大和政権の勢力が飛騨地方の豪族に接触した記録があります。恐らく両面宿儺討伐の物語は、大和政権が飛騨地方を征服した事実の暗喩ではないでしょうか?

英雄か、悪役か

両面宿儺は、日本書紀では朝廷に仇なす悪役として描かれています。一方で両面宿儺が現れたとされる飛騨では、両面宿儺は英雄として語り継がれてきました。中には龍や悪鬼を倒したと言った逸話まで残っていました。

飛騨において両面宿儺は、日本書紀とは真逆の、地域の守護神的扱いを受けています。その理由は、伝承を残した者の立場の違いに起因しています。日本書紀は大和政権の力を示す書物であるため、宿儺は「朝廷に仇なす悪人」として扱われました。

しかし、飛騨地方の人々にとって、宿儺は「中央集権に抗う意志」の象徴だったのでしょう。両面宿儺の信仰は、朝廷に抗う飛騨の豪族へ向けた、民衆からの敬意の現れだったのかもしれません。

飛騨地方で宿儺の像が見られる

両面宿儺を英雄として扱う飛騨地方では、両面宿儺の像を祀った寺院がいくつか存在します。まずひとつ目が、高山市丹生川町にある普門山善久寺(ふもんざん ぜんきゅうじ)です。ここでは、中国風の甲冑に身を包んだ両面宿儺像が見られます。

次に善久寺から少し離れた場所にある、袈裟山千光寺(けさざん せんこうじ)です。この寺は1600年ほど前に、宿儺が開山したとされています。そのためか、なんと宿儺の像が4体も祀られているそうです。

飛騨だけでなく美濃地方にも、大日山日龍峯寺(だいにちさん にちりゅうぶじ)があります。この寺には像だけでなく、宿儺が神龍を退治した伝説が残っているそうです。『呪術廻戦』のファンなら、1度は訪れてみてはいかがでしょうか?

日本書紀に登場する両面宿儺との違いや共通点

日本書紀に描かれる両面宿儺の容姿は、『呪術廻戦』に登場する宿儺と非常に酷似していました。ただ、両面宿儺は顔が2つあるのに対して、宿儺は顔が1つだけといった違いがあります。正確に言えば、1つの顔に顔2つ分のパーツが集約されているような見た目です。

また、漫画の宿儺は一貫して、傲岸不遜な「呪いの王」として描かれてきました。両面宿儺も日本書紀では略奪行為を繰り返す、悪人として描かれています。一方で、飛騨地方では英雄視されるなど、伝承によって扱いが大きく異なっていました。

現実の宿儺は、善と悪の二面性を持って描かれています。そういった意味では、宿儺を宿した虎杖が抱える、二面性と酷似しているとも言えるでしょう。伝承と照らし合わせると、相違点はあれど両面宿儺が宿儺のモデルとなったことがよくわかります。

両面宿儺の本来の姿に

長らく器の姿を維持していた宿儺ですが、原作237話にてとうとう本来の姿を取り戻します。作中で言及されていた通り、宿儺は4本の腕、2つの口、4つの目を有していました。まさしく、「呪いの王」に相応しい風格です。

また、風貌だけでなく、本来の姿の宿儺は、以前とは比にならない強さを有していました。最後に、宿儺が本来の姿を取り戻したシーンと、本来の姿の強さについて解説していきます。

鹿紫雲戦で千年前の姿に

宿儺は五条との戦闘を経て、反転術式が使えなくなるほどの大ダメージを負いました。そこへ、宿儺と同じく現世へ受肉を果たした術師である、鹿紫雲一が襲来します。術式を解放し捨て身の攻撃を行う鹿紫雲に、満人創痍の宿儺は防戦一方となりました。

そこで宿儺は、意図的に中断していた受肉による変身を再開します。変身を行うことで、副次的効果として肉体の修復が可能だからです。こうして脳など一部に後遺症は残ったものの、宿儺は完全な復活を遂げました。

復活した宿儺の体は、「完全無欠」の一言に尽きます。腕と口が常人の倍あることは、掌印と詠唱を行う呪術師にとって圧倒的なアドバンテージです。しかも宿儺は、身体機能を損なうことなく、異形の体を維持していました。

本来の姿の強さ

宿儺の本来の姿は、呪術師として究極と言えるもので、鹿紫雲からは「美しい」と評されています。その評価に違わず、宿儺は鹿紫雲との戦闘で圧倒的な強さを見せました。特筆すべき点は、隙のなさです。

宿儺は世界を断つ斬撃を、五条にノーモーションで放つためにいくつか縛りを設けました。それは、発動のために掌印と呪詞の詠唱、手掌による指向性の設定を必要とするといったものです。そのため、本来であれば、放つためにかなりの隙を生みます。

しかし、腕4本、口を2つ持つ宿儺なら、戦闘を行いながら掌印と詠唱を行うことが可能です。そのため、宿儺と戦うには多対一の状況に持ち込むのが必須となります。少しでも攻撃の手を緩めれば、世界を断つ斬撃が容赦無く放たれるでしょう。

まとめ

宿儺は本来の姿を見せてから、圧倒的な戦闘力を見せつけています。呪術全盛の時代に、宿儺に匹敵する術師が現れなかったのにも納得できるのではないでしょうか?むしろ、宿儺相手に日本人が皆殺しにされなかったことが奇跡です。

そんな稀代の怪物に対して、虎杖達高専の術師は持てる力を全て注ぎ込んで戦っています。完全無欠の肉体を持つ最強の術師を、虎杖達は本当に倒すことができるのでしょうか?今後の展開からも目が離せません。

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